藤下さんの「自転車生活」VOL.449

■  ロックンロール研究所に行ってきました!
スポーツバイクファクトリー北浦和スズキのショーウインドに置かれている
忌野清志郎さんのサイン入りのフィジークの黄色いサドルは、盗難にあったあの有名なオレンジ1号に付いていたサドルそのものです。 オレンジ1号はハワイのホノルルセーライドへ移動するために、飛行機輪行用の箱を準備していましたが
体調を整えるためにオレンジ1号に乗ってマッサージに行き、その治療院の軒先から盗まれました。
ホノルル行きは迫っていました。
鈴木店長のために作ってあったカーボンフレームを借りることになり、パーツを組み立て終わったところで
清志郎さんから見つかった、新宿署へ受け取りに行ってくると言う電話がありました。

帰って来たオレンジ1号をロックンロール研究所のシャワールームで洗車して
フィジークの蛍光イエローのサドルとバーテープを交換して、無事に1週間後のホノルルセンチュリーライドにオレンジ1号で参加しました。
清志郎さんのライドの様子は公式ホームページのLSDのところからアプローチできます。
そうそう、そのとき外した蛍光イエローのフィジークのアリオネにサインをもらって、鈴木店長にプレゼントしてもらったのです。 そういうストーリー付きのサドルです。 忌野清志郎さんの2台のバイク、オレンジ1号と2号をメンテナンスに行きました。

最初にオーダーしたケルビム号も、プレゼントされたトレックのプロジェクトワンもみておいた方がいいかなと思っています。
バイクの保管場所は東京のロックンロール研究所の中、愛用していたギターやピアノやドラムスなどの楽器が保管されている、エアコンが効いている音楽スタジオです。
 ミーティングルームにはホイールも保管されているはずです。
通称「ロッ研」は清志郎さんのプライベートスタジオで、音は完全にコントロールされていて
壁の中には白金のコードが張り巡らされていて、どのコンセントからもヨーロッパ仕様のアンプにマッチする電圧が取れるようになっています。
この部屋の重いドアを開けると、入り口近くに置かれているドラムスのスティックを持って
頭に浮かんだリズムを刻んでウォーミングアップして、作詞ノートを広げたり、マックを立ち上げて音符を並べて作曲したり、楽譜を並べて楽器ごとの編曲をしていました。

山積みされた大学ノートは言葉の羅列された作詞ノートというより、次の楽曲のアイデアが詰まったノートでした。
言葉へのこだわりが手書きでちりばめられていました。
音楽が自然に溢れ出てくるのではと思わせる天才と言われるひとも、何冊もの古びたノートを手にして
こうしてこつこつと気になる言葉や出来事を書き留めて、頑張っているんだなと思いました。 モノを造ることは苦しいこともあるのでしょうけど、創造するっていう作業が大好きだったんでしょうね。
ひとを驚かせること、ひとが考えも及ばないこと

これは大人の世界の常識や、大人の事情とかを飛び越えたとこに視点を置いて、考えることが好きだったんじゃないかな。
外が明るくなるまで夢中で作業していたそうです。
明け方になって、マンションの上の階の自宅へ戻ってバタンキューなので、午前中に起きてくるなんてことはかなり珍しかったようです。 そんな自分の時間を過ごすのが大好きで、マネージャーにも午前中の仕事はNG を出していたようです。
清志郎さんが創作活動していた部屋で、少なくとも2台のプロジェクトMのメンテナンスです。

東京のロックンロール研究所に向かってクルマで移動です。
整備台、スモールパーツ、ケミカル、工具箱を積み込んだクルマで乗り付けました。
清志郎さんの楽器を管理しているしゃぶちゃんに荷物を持ってもらって
エレベーターへ乗り込んでロックンロール研究所のドアを久し振りにくぐりました。
玄関を入ると右手が完全防音装置装備のスタジオで、ライブが終わった夜は打ち上げで夕飯を食べてから
このスタジオに出演者が集ってきて
放送局クオリティのデジタルのビデオで収録したライブを、大画面のモニターとスピーカーで再生しながらのダメ出しがあって
朝、明るくなるまでおしゃべりしたり、楽器を手に取って演奏したり。
共演者の大竹しのぶさん、小泉今日子さん、薬師丸ひろ子さんとかが一緒にライブのビデオを見て朝まで楽しんでいました。
咽頭ガンの放射線や抗がん剤による治療を終えて、体中から力が抜けて動けないという 髪の毛が伸び始めた清志郎さんに会って
体をほぐしたのもここだったし、快気祝いのオレンジ2号を渡したのもここでした。

ロックンロール研究所には、しゃぶちゃんと清志郎さんの息子さんのてっぺいクンが待っていてくれました。
2台のオレンジ号は東京での展示が終わって、大阪の展示会へ運ばれる寸前でした。
バイクを点検するとホイールのタイヤだけがカチカチになっていました。
ボーラウルトラ50とハイペロンのホイールのチューブラータイヤはボロボロになっていました。
本来なら、清志郎さんが愛用していた、乗り心地のいいヴェロフレックスのクリテリウムを張りたいところですが
大阪での2ヶ月の展示期間を考えると、ブチルチューブで空気の抜けが遅いコンチネンタルにしました。
これなら2ヶ月の展示で3回ぐらい空気を入れればタイヤがぺしゃんこのかっこ悪い状態にはならないと思います。

ホイールからがびがびになったチューブラータイヤをはがし、コンチネンタルのチューブラータイヤを張り付けました。
軽量で、しなやかな乗り心地を追求したオレンジ1号の重さは前後輪ハイペロン仕様で6、4kgでした。
キューバを走っている時に発注された上り坂重視のオレンジ2号は、ハイペロン仕様で6、7kgでした。
大阪へ搬送されるオレンジ1号にはボーラ50を前後にセットして仕上げました。
2台のメンテナンスを終わって、バイクの倉庫を見ると3台のバイクがストックされていました。

トレックのプロジェクトワンもありましたよ。
オレンジ2号にセットして リハビリ走りに使ってイタリア製のブルザッティの木リムホイールも前後輪ありました。
スタジオの中を見学させてもらいました。
奥のソファーはそのままでしたし、清志郎さんが描いた油絵が壁にかかっていましたし
愛用していたギターが数本置かれていて、ピアノ、ドラムスセットが昔のまま置いてありました。

このソファーの脇にキャメルの毛布を敷いて、清志郎さんに寝転がってもらい
ストレッチングしたり、マッサージしたことを思い出していました。
作曲中にここへバイクと整備台を入れて、メンテナンスして、パイロット版のCD が仕上がると
早朝にここを出発して石和温泉に向かって走ったこともありましたね。

ハワイのセンチュリーライドへ一緒に行った帰りに、知り合いだったカマカという手作りウクレレ工房に立寄って
オーナーに直接オーダーしてきた復弦のウクレレも保管されています。
そんなこんなを思い出しながらのロックンロール研究所の訪問になりました。
オレンジ2号のフロント変速機のクランプバンドが壊れていました。
スペアパーツの手持ちが無かったので、これは次回のメンテナンスの課題になりました。
ではでは。

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